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20231016伊勢崎市境上渕名からの赤城山

毎朝の散歩も朝方の気温低下で時差が生じてきたようだ。運動不足のせいで遠くまで歩いていけない。気付くと道端の草の影が大変短くなっているのに気づかされて急いで筆を走らせた。油絵は水彩画のようにいかないことが面白さの一つである。薄めて描くというわけにはいかない。どちらかというと絵の具をキャンバスに置いてくるということが正しい表現のようです。絵の具をパレットで練りに練って、ここの色はこれしかないと思ったときにペンティングナイフや筆を使って置くように塗る。道路の影は、もっといい色をしていると思っても。最初に見た時間の色が記憶に残りその色を混色したつもりであった。わずかの時間で道路の影は別の綺麗な色に変わっている、現場主義の作品の作り方にはタイミングのようなプロセスをしばしば感じる。左側の畑などは最初は雑草に陽光が当たってハッキリ見えているところは道路際の雑草だけだった。畑の土の部分は真っ黒であった。中景や赤城山を描いているうちに、もしくはパレットの混色に酔いしれているうちに、畑にはあぜ道のような場所が見えてきて、別な色合いになっていた。最初のここを描きたいという感動を追い求めて描いた一枚であった。